「派遣」をキーワードに語りましょう!

RESPECT
* カラコン
カラコンの販売店
www.bl-contact.com/
* 一生に一度の婚約指輪
婚約指輪ほど美しいものがあるのでしょうか、一生に一度の宝物を大切に!
www.trecenti.com/
* 比較.com(株)
Bフレッツの導入をお考えの方、簡単便利な比較サイトをご紹介いたします。
www.hikaku.com/isp/
* 株式会社ジョイエス
日本全国対応可能の不動産担保ローン専門業者です。地方物件・持分・借地権・住宅ローン返済中・築古マンション・住宅購入資金等、各種不動産担保ローンを取り揃えております。
www.joy-es.com/
* 大成
千葉県 一戸建てを建てるなら八千代もえぎ野。大手ハウスメーカー9社が理想の住まい作りをサポート。
www.taisei.co.jp/moegino/

様々な思惑で派遣された遣隋使

遣隋使のことは、皆さんも学校の歴史の授業で教わりましたよね。ここでは「派遣」というキーワードを軸に、いにしえの日本の外交について、考えてみましょう。

7世紀初頭、聖徳太子は当時の先進国であった隋(中国)に、数回にわたって使節を派遣しました。この使節が遣隋使です。遣隋使派遣の主な目的は、先進国の制度や文化を学び、それを参考に倭国(日本)を発展させてゆく、というものでした。今でも中国の指導者が来日するたびに、遣隋使のことを例にして、日中両国の交流の長さや、日中両国の友好の重要さを語るほどです。しかし時代は違えども、国と国の利害が複雑に絡むのが外交です。先進国の制度や文化を学ぶこと以外にも、倭国が遣隋使を派遣する目的はありました。

先進国の制度や文化の摂取と並ぶ、遣隋使派遣のもうひとつの目的は、大国隋との関係を深めることで、当時高句麗、百済、新羅の3ヶ国がひしめいていた朝鮮半島に対する、倭国の立場を有利にすることでした。また隋の側にも、倭国と友好的に付き合いたい事情があったのです。

軍事面でも政治・文化の面でも圧倒的なパワーを誇っていた隋ですが、当時隋は朝鮮半島の強国、高句麗への遠征を控えていました。そのため「高句麗の背後に位置する倭国と手を結んだほうが、隋の国益にかなう」と判断し、倭国に対して友好姿勢をとることにしたのです。昔も今も、国同士の利害が複雑に絡む外交が難しいことに、変わりはありません。